一番売れた曲

日本で最も売れた曲ランキング(平成、昭和のヒットソング)

日本で一番売れた曲(シングル)の歴代ランキングです。 国内で最もCDまたはレコードの売上枚数が多かった歌のトップ100。 昭和や平成など歴史に残る名曲やヒット曲、流行歌、超有名な曲がそろっています。 歌謡曲、Jポップ(J-pop)、演歌、童謡などジャンルも幅広いです。 1位は「泳げ!たいやきくん」、2位は「女のみち」。いずれも1970年代の歌です。 2020年現在のオリコンのデータなどに基づいています。 オリコンが始まる1967年以前については、レコード会社の発表値や推計を含んでいます。 「CD」バブルと呼ばれ、CDシングルが飛ぶように売れた1990年代の曲が多くランクインしています。(Moveミュージック)

    

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑

オリコン歴代セールス(シングル)

■ トップ10
順位 曲名・歌手 説明 売上
「およげ!たいやきくん」

子門真人(しもん・まさと)

1975年
(昭和50年)

およげ!たいやきくん

【動画】
<公式▼>


<テレビ番組▼>


【配信】
アマゾン→
20世紀後半に人気を博した子供向けテレビ番組「ひらけ!ポンキッキ」で使われた曲。 昭和時代で最大の流行歌となった。

人間に焼かれ、食べられる運命にある「たい焼き」が、 自らの運命の悲哀を語っている。 世の中の現実と向き合うダークかつコミカルな曲である。 物語性があふれる歌詞と情緒的なメロディが国民の心をつかんだ。

番組のオリジナル曲として流したところ、問い合わせが殺到。 すぐに子供から大人までが口ずさむようになった。 作曲は佐瀬寿一、作詞は高田ひろお。

レコードのB面の「いっぽんでもニンジン」も大人気となり、売り上げを後押しした。
457万枚
「銀座の恋の物語」

石原裕次郎と牧村旬子

1961年
(昭和36年)

【動画】
<曲▼>
デュエット曲の代名詞ともいえる名曲。数ある石原裕次郎のヒット曲の中でも最高の売上となった。

映画「街から街へのつむじ風」の挿入歌として急きょ製作され、1960年(昭35)12月1日夜に日活撮影所でレコーディングされた。翌2日は裕次郎と女優北原三枝の結婚式が東京・有楽町の日活ホテルで盛大に行われることになっていたが、映画の撮影日程などでこの日しかなかった。

牧村は中学を卒業したばかりの15歳の新人歌手。急きょの録音で抜てきされた。緊張しきりの牧村に、裕次郎は「君は僕の独身最後の女性だよ」とやさしく言った。これで緊張がほぐれた牧村と、裕次郎は歴史に残るデュエット曲を吹き込んだという。
325万枚
「女のみち」

宮史郎とびんからトリオ

1972年
(昭和47年)

女のみち

【動画】
<テレビ番組▼>


【配信】
アマゾン→
演歌。 心を捧げたにもかかわらず、ふられてしまった女性の歌。 「二度としないわ 恋なんか これが女の道ならば」といった歌詞が、絶大な支持を得た。 健気(けなげ)な昭和時代の日本女性の姿を、シンプルな歌詞とメロディで見事に表現しているとされる。

もともとは無名の漫才トリオだった「ぴんからトリオ」(宮史郎、宮五郎、並木ひろしの)が、 貯金をはたいて自主制作した曲。 最初に刷ったレコードの枚数はわずか300枚だったという。 関西の水商売の女性たちにバカ受けし、そこから火がついた。

歌の主人公は女性だが、歌っているのはダミ声の宮史郎。 そのギャップの面白さも、ヒットの一因だとされる。

1972~73年のオリコンで「2年連続の年間売上げ1位」という記録を作った。

発売当時、宮史郎は29歳だった。
325万枚
「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」

SMAP(スマップ)

2003年
(平成15年)

世界に一つだけの花

【CD】
アマゾン→
平成時代で最も売れた曲。 平成を代表するアイドル、SMAP(スマップ)の代表曲。 2002年のアルバムに収録されたが、当初はシングルカットはされなかった。 翌年、メンバーの草彅剛(くさなぎ・つよし)主演の主演ドラマの主題歌に採用されたことで人気が集まり、 シングルとして発売された。

すべての人を励まし、応援する歌。 他の人と競うよりも、自分ならではの個性や美しさを磨くことの大切さを訴えている。 「ナンバー1にならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」という冒頭の歌詞がリスナーの心をひきつける。 「オンリーワン」というフレーズは流行語にもなった。

作詞・作曲は歌手としても有名な槇原敬之(まきはら・のりゆき)。 1999年に覚せい剤で有罪判決を受けた後、立ち直る過程で書き上げたという。

2016年のSMAP解散騒動の際に、ファンの間で解散を阻止しようというムードが強まり、この曲の販売運動が盛り上がった。 この結果、それまで平成最大のヒットだった「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)の販売記録を追い抜いた。
313万枚
「君といつまでも」

加山雄三

1965年12月
(昭和40年)

君といつまでも

【動画】
<テレビ出演(39歳当時)▼>


<映画「エレキの若大将」より▼>


【配信】
アマゾン→
昭和を代表する俳優兼シンガー・ソング・ライター、加山雄三の5枚目のシングル。 さわやかで温かい青空のような恋愛ソングとして、 歴史に名を残している。

「若大将」こと加山はデビューする前の学生時代から趣味で作曲をしていた。 大学卒業後、映画俳優として大スターになり、 歌手としても活動を始める。 そんなとき、所属事務所から「自分のつくった曲を歌ってくれ」と指示され、 ピアノに向かいながら短期間で書き上げた。 それに作詞家・岩谷時子が「加山さんのイメージを重ねながら」詩をつけた。

「幸せだなぁ」で始まる有名なセリフの部分は、 レコーディングの前に加山自身が「こんなの入れたらどうかな」と提案したという。 自ら主演する映画『エレキの若大将』の主題歌としても採用された。 アメリカのバンド、ザ・ベンチャーズもカバーした。
300万~350万枚
「お座敷小唄」

和田弘とマヒナスターズと松尾和子

1964年
(昭和39年)

【動画】
<曲▼>
300万枚
「TSUNAMI」(ツナミ)

サザンオールスターズ

2000年
(平成12年)

ツナミ

【動画】

<公式>

<PV風>


<男性カバー>


【配信】
アマゾン→
1970年代後半から一貫して活躍を続ける国民的なバンド、サザンの代表作。 国産ラブバラードの究極の名曲で、 琴線に触れる切ないメロディと、日本語の美しさが冴えわたる。

オリコンチャートで3か月にわたってベスト5に入るロングヒットとなり、 グループとしてそれまで最大の売上枚数だった「エロティカ・セブン」(1993年)を大きく上回った。 日本レコード大賞を文句なしで受賞した。

作詞・作曲は桑田佳祐。 甚大な津波被害を出した2011年の東日本大震災の後は、ラジオやコンサートで自粛された。
293万枚
「だんご3兄弟」

速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団

1999年
(平成11年)

だんご3兄弟

【動画】
<テレビ▼>


【配信】
アマゾン→
NHKの朝の子供番組「おかあさんといっしょ」で使われた童謡。 1990年代で最も売れた曲。

番組のレギュラー出演者だった速水けんたろう、茂森あゆみの2人が歌っている。 歌のコーナーで1999年1月の月間ソングとして登場。 シンプルで可愛らしい映像とあいまって、ハマる子供たちが続出した。 番組の曲として初めてCD化され、爆発的なヒットとなった。

タンゴのような曲調になっており、「タンゴ」と「だんご」をかけている。 主人公は串に刺さっている3個の団子で、 「一郎」「次郎」「三郎」という3人兄弟。 電通出身の著名CMクリエイター佐藤雅彦が作詞とプロデュースを手掛けた。

関連グッズや絵本もバカ売れする一大ブームとなった。 だんご屋さんの売り上げも伸びた。
291万枚
「君がいるだけで/愛してる」

米米CLUB

1992年
(平成4年)

君がいるだけで/愛してる

【動画】
<ライブ▼>


【配信】
アマゾン→
平成初期(1980年代末から1990年代前半)にヒット曲を連発した米米CLUBの代表作。

2曲の恋愛バラードがセットでシングルとして発売された。

安田成美と中森明菜という2人の大スターが主演したフジテレビ系ドラマ「素顔のままで」で、 「君がいるだけで」が主題歌として、 「愛してる」が挿入歌として使われた。 ドラマが20%代後半の高視聴率を稼ぐなかで発売され、 すぐに100万枚が売れるヒットとなった。

もともとはボーカルの石井竜也(カールスモーキー石井)が、自分の妹とバンドメンバーの結婚を祝福するために作った。 「君がいるだけで」の「たとえば・・」で始まる歌詞が印象的。
289万枚
10 「SAY YES」(セイ・イエス)

CHAGE & ASKA(チャゲ&アスカ)

1991年
(平成3年)

セイ・イエス

【動画】
<公式ビデオ▼>

<ライブ▼>


【配信】
アマゾン→
福岡の高校同級生2人から成るコンビが、 1980年代に実績を重ねたうえで、 バブル末期の1991年に放った超特大ヒット作。 オリコンで13週連続1位になった。

「何度も言うよ。君は確かに僕を愛してる」と唄う素直なラブバラード。 ASKAが作詞・作曲。 ボーカルもASKAが担当した。

浅野温子と武田鉄矢が主演するフジテレビ系ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌として使われた。 最初からドラマ用の曲として依頼を受け、作曲したという。 ドラマの評判は良く、 最終回で視聴率36.7%を記録。 曲のセールスを押し上げる要因となった。
282万枚

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■ 11位~20位
順位 曲名・歌手 説明 売上
11 「Tomorrow never knows」(トゥモロー・ネバー・ノウズ)

Mr.Children(ミスター・チルドレン)

1994年
(平成6年)

トゥモロー・ネバー・ノウズ

【動画】
<公式ビデオ▼>


<ライブ(2015年)▼>


【配信】
アマゾン→
平成時代にシングル10作でミリオンセラー(100万枚販売)を記録したスーパースターバンド「ミスチル」。 彼らの最大のヒットとなったのが、この曲である。 この5か月前に発売されたシングル「innocent world(イノセント・ワールド)」がオリコン1位となり、 人気が急上昇するなかでリリースされた。

作詞・作曲はミスチルの他の曲と同様、ボーカルの桜井和寿が行った。 歌詞は「果てしない闇の向こうに。オーオー、手を伸ばそう」というサビ。 未知の明日へと歩み続ける人たちへの応援歌として受け止められている。
276万枚
12 「ラブ・ストーリーは突然に」

小田和正

1991年
(平成3年)

ラブ・ストーリーは突然に

【動画】
<カバー▼>


【配信】
アマゾン→
日本を代表するシンガー・ソング・ライター、小田和正の最大のヒット曲。

1991年のフジテレビ系ドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌として作曲された。 ドラマの中でもインパクトの強い使い方をされ、 相乗効果で社会現象的な流行をもたらした。

小田和正の言語表現力がさえわたり、 「あの日、あの時、あの場所で、君に会えなかったら」などのフレーズが強い印象を残す。

オフコースの初期のころの素朴さを漂わせながら、切れ味鋭い旋律。そして、良く伸びる高音が美しい。ソロ歌手としての物足りなさをまったく感じさせない上質の出来。

CDシングルは「Oh! Yeah!」との両A面(カップリング)という形で発売されたが、 圧倒的に「ラブ・ストーリーは突然に」に人気が集まった。
258万枚
13 「星影のワルツ」

千昌夫

1966年
(昭和41年)

星影のワルツ

【動画】
<テレビ出演1(当時23歳)▼>


<テレビ出演2▼>
千昌夫(せん・まさお)の代表作。まさに国民的な歌謡曲であり、昭和時代における最高の名曲の一つと評価されている。 白鳥園枝作詞、遠藤実作曲。

新たな出会いのために別れるときの感情を歌っている。 シンプルな歌詞とサウンドから、相手を想う実直な優しさ、誠実さがじみじみと伝わる。

記録的なロングセラーとなった。 カラオケや宴会・式典の合唱の歌としても永遠の人気を誇る。

遠藤実の作品は、 発表後すぐにはヒットせず、 じわじわとのし上がってくるパターンが多かった。 本曲もその代表的な例の一つである。

千昌夫はは遠藤実の内弟子だったが、 デビュー曲が不発に終わり、苦労していた。

本曲も発売当初は売れずに無視された。 しかし、徐々にスナックのママたちから、 好評を博すようになった。

そこで、発売から2年後、 アレンジを変えて、 レコーディングをし直して、 再びリリースした。

千昌夫はこの曲を一筋に歌い続けた。 曲名を書いた段ボールを体の前後に下げて、 街角で歌った。 やがて当時普及し始めていた「有線放送」でリクエストが増加。 日本の音楽史上、初めて有線放送から生まれたヒット曲だと言われる。

台湾でも大ヒット。その後、香港やシンガポール、マレーシアにも飛び火した。

演歌にワルツ調はあわないと言われていたが、 その通説も覆した。

(参照・出典:「涙の川を渉るとき―遠藤実自伝」
250万枚
14 「LOVE LOVE LOVE」

DREAMS COME TRUE(ドリームズ・カム・トゥルー)

1995年
(平成7年)

ドリームズ・カム・トゥルー

【動画】
<公式ビデオ→▼>


<ライブ▼>


【配信】
アマゾン→
1990年代にヒット曲を量産したドリカムの代表曲。 静かで切ない恋愛ソング。 ボーカルの吉田美和のハスキーでソウルフルな歌声がさえる。

作曲はベースの中村正人。 作詞は吉田美和。 「どうしてすごく愛してる人に愛してると言うだけで、涙が出ちゃうんだろう」という思いっきりストレートな歌詞も魅力。

豊川悦司と常盤貴子主演のTBS系ドラマ「愛していると言ってくれ」の主題歌。 CD版は「嵐が来る」との両A面(カップリング)という形で発売された。 嵐が来るも同じドラマに挿入歌として使われた。
248万枚
15 「YAH YAH YAH」(ヤー・ヤー・ヤー)

CHAGE & ASKA

1993年
(平成5年)

ヤー・ヤー・ヤー

【動画】
<公式ビデオ▼>


<ライブ▼>


【配信】
アマゾン→
「SAY YES」の2年後の1993年3月に発売。 この曲の大ヒットによりチャゲアス人気は頂点を迎え、 日本で初めてシングルで2枚目の200万枚(ダブルミリオン)を達成するアーティストとなった。

それまで代表作だった「SAY YES」「if」のようなバラードではなく、 アップテンポなロック調の曲。 疾走感があふれる。 やる気を奮い立たせる歌として人気を集めた。 サビの歌詞はひたすら「ヤーヤーヤー」を連呼する。 チャゲとアスカのハモリも抜群。 作詞・作曲アスカ。

織田裕二主演のフジテレビ系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌。 「夢の番人」の両A面シングルとして発売された。
241万枚
16 「名もなき詩」

Mr.Children

1996年
(平成8年)

名もなき詩

【動画】
<ライブ(2007年)▼>


【配信】
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ミスチルのシングルとして2度目の200万枚突破となった。 ソフトなロック調。 勇気や感動をもたらす歌詞とメロディが魅力。 「あるがままの心で」で始まり「僕だってそうなんだ」で終わるサビが厚い支持を得た。

和久井映見主演のフジテレビ系ドラマ「ピュア」主題歌。
230万枚
17 「桜坂」

福山雅治

2000年
(平成12年)

桜坂

【動画】
<公式▼>


【配信】
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男性ソロ歌手としては平成で最も売れたとされる福山雅治の15枚目のシングル。 他の曲と同様、福山が自ら作詞・作曲した。 桜坂とは、東京都大田区の田園調布にあるサクラの名所。 18歳で長崎から上京してきた福山が、デビュー前に住んでいた場所の近くにある。

30歳前後になり、当時を思い出しながら歌詞を書き、メロディを乗せたという。 「愛と知っていたのに。春はやってくるのに」と唄う哀愁たっぷりのバラード。 自身の甘い歌声にもぴったりマッチしている。

記録的な大ヒットとなったサザンオールスターズの「TSUNAMI」の3か月後の2000年4月に発売された。
229万枚
「CAN YOU CELEBRATE?」

安室奈美恵

1997年
(平成9年)

CAN YOU CELEBRATE?

【動画】
<公式▼>


【配信】
アマゾン→
平成を代表する歌姫、安室奈美恵の代表作。 永遠の愛の喜びを伝えるラブソングであり、 平成の結婚式の定番曲にもなった。

安室が19歳のときの1997年2月に発売された。 この曲でアムラー現象は絶頂を迎える。 同年秋に安室が結婚したことで、 また売れた。 この曲を年末のNHK紅白歌合戦のトリで熱唱した後、 産休に入った。

作詞・作曲・プロデュースは、 同じく当時絶頂だった音楽家、小室哲哉。 当時流行していたカラオケでも定番になった。 いろんな意味で時代を象徴する歌である。 和久井映見、反町隆史が出演したフジテレビ系ドラマ「バージンロード」の主題歌にもなった。
19 「DEPARTURES」(ディパーチャーズ)

globe

1996年
(平成8年)

ディパーチャーズ

【動画】
<公式ビデオ▼>


<ライブ▼>


【配信】
アマゾン→
プロデューサーとして音楽業界の頂点を極めつつあった小室哲哉が、 自らメンバーとなって結成した3人組グループ、globe(グローブ)の最大のヒット。 4枚目のシングルとして発売され、100万枚売れた前3曲を大きく上回るセールスを記録した。

「どこまでも~」で始まるサビと、親しみやすいメロディが、 強い印象を残す。 ボーカル、keiko(けいこ)の歌声もぴったりはまり、 テクノと歌謡曲が融合したような歌になっている。

JR東日本のスキー旅行のCMソング。 CMには、当時超売れっ子だった竹野内豊と江角マキコが出演した。 CMの映像ができあがり、それに合わせるようにしてレコーディングをしたという。 1996年の元旦に発売され、スキーシーズンを席捲した。

この曲で大ブレークしたglobeは、 アルバムでも記録的なセールスを残すことになる。
228万枚
20 「黒ネコのタンゴ」

皆川おさむ

1969年
(昭和44年)

黒ネコのタンゴ

【動画】
<動画▼>
1969年3月のイタリアの童謡コンテストで3位になった曲を、 当時まだ6歳だった皆川おさむがカバー。 大ヒットとなった。 オリコンで14週連続の1位。 1960年代以前に発売された曲としては、 最大のセールス記録となった。

わずか2分28秒の短い歌の中に、子供のかわいらしさが凝縮されている。 独自に「タンゴ」という言葉を使った日本語の歌詞も絶妙。

30年後に大ヒットした童謡「だんご3兄弟」がこの曲に似ていたことから、 再び脚光を浴び、CD化された。
223万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 21~30位
順位 曲名・歌手 説明 売上
21 「WOW WAR TONIGHT?時には起こせよムーヴメント」

H Jungle With t(浜田雅功と小室哲哉)

1995年
(平成7年)

WOW WAR TONIGHT?時には起こせよムーヴメント

【動画】
<動画▼>


【配信】
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お笑いコンビ、ダウンタウンの浜田雅功(浜ちゃん)と、音楽プロデューサー・小室哲哉が共演した曲。 お笑い芸人の曲としては史上最高のセールスを記録した。

ダウンタウンが司会をする音楽番組で、浜田が冗談半分で小室に曲の提供を依頼したのがきっかけ。 小室の作品としては珍しくストレートでゆったりしたメロディになった。 歌詞は頑張る人たちへの応援歌のような内容で、 サラリーマンの日常風景や心情のような世界が描かれている。 疲れたときに励まされる歌。
210万枚
22 「恋の季節」

ピンキーとキラーズ

1968年
(昭和43年)

恋の季節

【動画】
<動画▼>


<動画▼>
昭和の歌謡曲として最大のヒット曲。 オリコンで12週連続で1位となり、いったん2位に転落したものの、再び返り咲いて5週連続1位をキープ。 合計で17週も1位になった。 これは、オリコンで史上最長の記録になっている(2019年1月現在)。

ピンキーこと今陽子と4人の男性によるグループで、 この曲がデビュー曲。 ピンキーは当時高校2年だった。 歌詞の出だしは「忘れられないのあの人が好きよ」。 大人びた少女が口ずさんでいるような情熱的な恋愛の歌になっている。
207万枚
23 「Automatic/time will tell」

宇多田ヒカル

1998年
(平成10年)

Automatic/time will tell

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
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宇多田ヒカルのデビュー曲。 当時15歳。 天才歌手の出現に国民が沸き上がり、時代の寵児となった。 作詞・作曲も、本人自ら手掛けた。 ニューヨーク生まれの帰国子女なだけに、歌詞の英語の発音も完璧。

この曲の大成功により、 小室ファミリーの一人勝ちが続いていた日本の音楽業界の風向きが変わった。

宇多田の長いキャリアの中で最大のヒット曲(2019年現在)。 また、この曲を収録したデビューアルバム『First Love』は760万以上の売上を記録し、日本の音楽史上、最も売れたアルバムとなっている。
206万枚
24 「TRUE LOVE」

藤井フミヤ

1993年
(平成5年)

TRUE LOVE

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
チェッカーズのボーカルだった藤井フミヤが、バンド解散後、最初のソロシングルとしてリリースした。 恋愛バラード。 ゆったりと静かなギターにあわせて、 フミヤの甘く切ない声が光る。

「僕らは いつも はるか はるか遠い未来を 夢見てたはずさ」という歌詞。 作詞だけでなく、作曲も珍しくフミヤが自ら手掛けた。 チェッカーズのポップな路線とは一転して、1人のシンガーとして勝負する姿勢を感じさせた。 何度も出てくる「君だけ・・」という言葉も、全国の女性リスナーの心をつかんだ。

フジテレビ系で月曜午後9時(月9)に放送された大学生の恋愛ドラマ『あすなろ白書』で、主題歌として使われた。 ドラマも高視聴率となり、そのドラマとしっかりマッチしていることも曲の評価を高めた。

当時のカラオケの定番。 結婚式で歌われる曲としても人気があった。
202万枚
25 「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」

B'z

1993年
(平成5年)

【動画】
<動画(ライブ)▼>
日本の歴史上、最もCD(アルバムとシングルの合計)を多く売ったアーティスト、B'z(ビーズ)。 そのB'zの最大のヒットシングル。

キャッチーでノリノリなロック。 松本孝弘の「聴かせるギター」が炸裂する。 B'zファン以外にも幅広く支持され、長期間にわたって売れた。

B'zの他の曲と同様、ボーカルの稲葉浩志が作詞を、松本孝弘が作曲をした。 「そう 信じる者しか救わない せこい神様拝むよりは 僕とずっと一緒にいる方が 気持ちよくなれるから」など、 歌詞も面白い。曲名が長いことでも有名。

1990年代の音楽業界は、B'zが所属するレコード会社「ビーイング」グループと、 小室ファミリーが2大勢力として君臨した。
202万枚
26 「恋しさと せつなさと 心強さと」

篠原涼子 with 小室哲哉(t.komuro)

1994年
(平成6年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
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「恋しさ」と書いて「いとしさ」を読ませている。 はかなくも力強いメロディーが特徴。 聴きやすく覚えやすいポップソング。 曲名だけでなく、歌詞でもカタカナ語を使っていない。 愛する人を支え、自らも前に進もうとする女性の心理が、端的な日本語で描かれている。

後に女優として活躍する篠原涼子が、21歳のアイドル時代に大ヒットさせた。 デビューから4枚目のシングル。 最初の3枚は売れなかったが、4枚目で天才プロデューサー、小室哲哉の全面的なバックアップを受けたことで、大成功を果たした。 作詞・作曲も小室哲哉。 この曲により「TKプロデュース(小室哲哉プロデュース)」という言葉が広まるにようになった。

発売当初の売れ行きは大したことなかったが、 じわじわと評判が広がり、チャートで1位を獲得。 長期間にわたって売れ続けるロングセラーになった。

人気の戦闘ゲーム「ストリートファイター」の映画版「ストリートファイター2 MOVIE」の主題歌として使われた。
202万枚
27 「愛は勝つ」

KAN(かん)

1990年
(平成2年)

【動画】
<曲▼>


【配信】
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ポジティブな歌詞で聴く人を励ます応援歌。 真っすぐに生きることの美しさを教えてくれる。 レコード大賞が2つの部門に分かれていた当時、 「ポップ・ロック部門」で最高峰となる大賞を受賞した。 201万枚
28 「ロード」

THE 虎舞竜(とらぶりゅう)

1993年
(平成5年)

【動画】
<公式▼>


【配信】
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マイナーなバンドだった「THE 虎舞竜」が、いきなり飛ばした大ヒット。 有線放送などでじわじわと支持が広がった。 オリコンの1位にはならなかったが、ロングセラーになった。 この曲により、ボーカルの高橋ジョージは一躍有名人になった。

誰もが一度は聞いたことのあるメロディ。 「何でもないようなことが」という歌詞のフレーズも有名。 カラオケの定番でもある。

高橋ジョージが、胎児とともに交通事故で死んでしまった女性ファンを思って書いた。 この女性は事故の前、既婚者の子をみごもったことを悩み、高橋に相談の手紙を出していたという。

この曲の続編として「ロード~第二章」「第三章」などがリリースされた。 シリーズ全部で14曲ある。
199万枚
29 「なみだの操(みさお)」

殿さまキングス

1973年
(昭和48年)

【動画】
<テレビ番組▼>


【配信】
アマゾン→
昭和を代表する演歌系の歌謡曲。 「操(みさお」とは、女性の貞操のこと。 「あなたのために 守り通した女の操」「あなたの決してお邪魔はしないから おそばに置いてほしいのよ」など、 慎ましい日本女性の心情が表現されている。 ただ、男性がやや明るい感じで歌っていることもあり、悲壮感はあまりない。

殿さまキングス(殿キン)はもともと、ドリフターズのようなコミックバンドであり、お笑い番組に出演していたが、 1973年に本格的なコーラス・グループへと転換。この曲が最初の大ヒットとなった。 宮史郎とびんからトリオの「女のみち」の大成功にも触発されたとも言われている。

1990年代、アニメ「ちびまる子ちゃん」で、主人公・まる子が歌うなどして有名になった。
197万枚
30 「さよならクロール」

AKB48

2013年5月

【動画】
<公式▼>


【配信】
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平成を代表するアイドルグループ「AKB48」。 数々のヒット曲の中で、最大のセールスを記録したシングル。 2013年の第5回選抜総選挙の投票券付きで発売された。

グループのエースだった前田敦子が卒業した翌年の作品。 センターは大島優子、渡辺麻友、板野友美、島崎遥香の4人が務めた。

明るくノリが良い曲。 サウンドは夏の日差しのようなキラキラ感があふれている。 その一方で、歌詞は切なさに満ちており、 共感しやすいサマーソングとして人気を集めた。 それまで最大の売上だった「真夏のSounds good!」(2012年)を上回る販売枚数となった。

海辺を舞台にした公式ミュージック・ビデオ(蜷川実花監督)も大好評だった。 男女問わず幅広い層から「カラフルで華やか」「可愛らしい」と称賛された。

なお、この曲の次のシングルとなったのが、超有名な名曲「恋するフォーチュンクッキー」。
195万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 31~40位
順位 曲名・歌手 説明 売上
31 「innocent world」
(イノセント・ワールド)

Mr.Children

1994年
(平成6年)

【動画】
<公式▼>


【配信】
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内省的な詩の世界と、ポップなメロディを持ち味とするミスチルの最高傑作の一つ。

ミスチルにとって5枚目のシングル。 前作「クロスロード(CROSS ROAD)」が初の特大ヒット(ミリオンセラー)となり、 人気が急上昇するなかでリリースされた。

1994年のレコード大賞を受賞。 通常、レコード大賞は授賞式に出席しないアーティストが受賞から締め出されるのか慣例となっている。 しかし、ミスチルは欠席したにもかかわらず、受賞を果たした。 それだけ審査員に圧倒的な支持を得たと見られる。

コカ・コーラのスポーツ飲料「アクエリアス」のCMに使われた。
193万枚
32 「ビューティフル・サンデー」

ダニエル・ブーン

1976年
(昭和51年)

【動画】
<動画▼>


【配信】
アマゾン→
洋楽シングルとして歴代1位の記録を持っている。 すがすがしい日曜の朝を讃える歌。 爽やかで健康的。 子供からお年寄りまで共感できる普遍的な曲である。

歌っているのはイギリス人歌手ダニエル・ブーン。 1972年に発売され、 国際的なヒットとなり、ドイツ、メキシコ、南アフリカなどで1位となった。 当初日本では売れなかったが、 1976年に民放テレビ番組のテーマ曲として採用されたことで火がつき、 オリコンで15週連続の1位を記録した。

旧邦題は「すてきなサンデー」。 田中星児による日本語カバーもヒットした。
192万枚
33 「エブリシング」(Everything)

MISIA(ミーシャ)

2000年10月
(平成12年)

【動画】
<動画▼>


【配信】
アマゾン→
本格派R&B歌手、ミーシャの代表曲。名バラード。 7枚目のシングル。 ミーシャにとって初のオリコン1位となった。 ロングセラーとなり、 発売翌年の2011年も年間チャート12位に入った。

ミーシャの優しい歌声が感動を呼ぶ。 美しい伴奏が、その声に寄り添う。

松嶋菜々子主演の超人気ドラマ「やまとなでしこ」の主題歌。
187万枚
34 「HELLO」

福山雅治

1995年
(平成7年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
ポップでノリが良いラブソング。 印象的なギターのフレーズが入っている。「恋が走り出したら」というサビのフレーズが有名。

ドラマ「最高の片想い」の主題歌。 福山本人は出演していない。トレンディドラマにぴったりの楽曲となった。
187万枚
35 「LOVE PHANTOM」
(ラヴ・ファントム)

B'z
(ビーズ)

1995年
(平成7年)

【動画】
<公式ビデオ▼>
B'zにとって「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」に次ぐ2番目の販売枚数となった。

テレビ朝日が放送した米国の人気テレビ映画「X-ファイル」(水曜午後8時)の日本放送版のメージソングとして作られた。「幽霊」という意味で、X-ファイルをイメージして作曲したという。

シンセサイザーを駆使し静かな曲調で始まり、幻想的なハードロックに仕上がっている。

ボーカル稲葉浩志(いなば・こうし)は当時30歳。ギターリスト松本孝弘(まつもと・たかひろ)は当時34歳。デビュー以来、リリースする曲のすべてがミリオン(100万枚)級のヒットを記録しているロックデュオとしてとてつもない勢いがあった。

本作の前に発売された新シングル「love me, I love you」も130万枚のヒットを記録していた。
186万枚
36 「LA・LA・LA LOVE SONG」

久保田利伸 with ナオミ・キャンベル

1996年
(平成8年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→


現代的なR&Bと日本のポップスの融合。 久保田利伸にとって最大のヒット曲。

ナオミ・キャンベルは世界トップ級のモデル。 2人がニューヨークの同じマンションに住んでいたことから、共演が実現した。 とはいえ、キャンベルが歌う部分はなく、つぶやいているだけ。 録音も重ね撮りだという。

ドラマ「ロングバケーション」の主題歌。(AI Referee
185万枚
37 「Hello, Again~昔からある場所~」

MY LITTLE LOVER

1995年
(平成7年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
184万。 184万枚
38 「WHITE LOVE」

SPEED

1997年
(平成9年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
184万。 184万枚
39 「世界中の誰よりきっと」

中山美穂&WANDS(ワンズ)

1992年
(平成4年)

【動画】
<ライブ映像(公式)▼>
アイドル歌手、中山美穂の通算25枚目のシングル。 デビュー7年目して、初めてのミリオンセラーの快挙を遂げた。 好きな男の子を思い、わくわくしている女性の恋心をアップテンポのメロディーに乗せた軽快な曲だ。 フジテレビ系ドラマ「誰かが彼女を愛してる」の主題歌。

中山本人にとって、本曲はデビュー以来初めて納得がいくものだっとされる。 それまでアイドル歌手として求められるイメージと、目指す音楽とのギャップを感じることも多くあったという。

中山は、ドラマの展開とは一線を画した白紙の状態で自ら詩を書き始めた。 「世界中のだれよりきっと 果てしないその笑顔 ずっと抱きしめていたい・・・」。 積極的なフレーズだ。 それまでの歌ってきた曲のような受け身の恋愛のイメージはない。

生き生きとした元気な歌声は、何かふっきれたような明るさでいっぱいだ。
183.3万枚
40 「真夏のSounds good!」

AKB48

2012年
(平成24年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
夏の海を舞台にした王道のアイドル・ポップ。 2012年の第4回選抜総選挙の投票券付き。 AKB48は2011年と2012年のシングル年間ランキングのトップ5を独占しており、まさに絶頂期の歌。

センターは、前田敦子が務めた。 グループ結成以来、中核メンバーとして支えてきたが、 本作をもって卒業。 ソロ活動に移行した。

本曲はレコード大賞を受賞。 前年の「フライングゲット」での受賞に続く2連覇となった。 2連覇達成は史上6組目。
182.2万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 41位~50位
順位 曲名・歌手 説明 売上
41 「夢追い酒」

渥美二郎

1978年
(昭和53年)

【動画】
<テレビ出演▼>


<テレビ出演2▼>


【配信】
アマゾン→
182万。 16歳のときから流しの歌手をやっていた渥美は、 24歳でプロの歌手としてデビュー。 最初の2枚のシングルはさっぱり売れず、 3枚目に出したのがこの曲だった。

渥美は「この歌が売れないようなら、レコード歌手はやめよう」と覚悟する。 背水の陣で自ら営業活動を行った。 本来は照れ屋の性格ながら、 自分の名を赤い刺繍で浮かび上がらせた派手なたすけを掛け、 全国のレコード店を行脚した。 飛行機の中でもたすきを外さなかったという。

発売から10か月後の年末、 日本有線大賞の敢闘賞を受賞する。 年明けに爆発的なヒットとなった。

カラオケが流行し始めたのも追い風となった。 素人でも歌いやすいことから、 酒場のカラオケでも定番になる。
42 「シーソー・ゲーム~勇敢な恋の歌~」

Mr.Children

1995年
(平成7年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
181万枚
43 「クリスマス・イブ」

山下達郎

1986年
(昭和61年)

【動画】

<特別PV▼>


<JR東海のCM▼>


【配信】
アマゾン→
日本の最強のクリスマス・ソング。 「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう」で始まる定番中の定番。 この曲のイントロが聞こえてくると、 「今年もクリスマスの季節が来た」と感じることができる日本人は多い。 毎年何度聞いても飽きない。 21世紀になってからも、クリスマスの時期になるとシングルチャートの100位にランクインした。

長い間テレビのCMソングに使われた。 初めて起用されたのは1988年(昭63年)。 前年、民営化されたJR東海のイメージアップ戦略「シンデレラ・エクスプレス」の一環の「クリスマス・エクスプレス」のイメージ曲だった。 遠距離恋愛をテーマにした「エクスプレスシリーズ」は若いカップルには刺激的だった。

CMと同じように日曜午後9時、新大阪行きの新幹線ホームには週末しか会えないカップルが手を握り合い、キスを交わした。最近では当たり前になった公衆の面前での大胆な愛情表現は同CMが始まりだといわれるほどだった。 達郎の歌声が印象的な「クリスマス・エクスプレス」は同年から5年間続いた。初代・深津絵里(23)をはじめ牧瀬里穂(25)高橋理奈(28)溝渕美保(24)吉本多香美(23)が毎年イブの夜に恋人と再会した。欧米型の家族で過ごすクリスマスから、現在主流の恋人と過ごすクリスマスを印象づけた。

その後も、エステ業界の東京ビューティセンター(TBC)などがCMに使った。(naoyakiyohar5)
180万枚
44 「硝子の少年」

KinKi Kids(キンキ・キッズ)

1997年
(平成9年)

【動画】
<公式ビデオ▼>
ジャニーズ事務所のアイドル「KinKi Kids」(キンキ・キッズ)のデビュー曲。 キンキは堂本剛と堂本光一の2人組(同じ苗字だが、兄弟ではない)。いずれも近畿出身。デビュー当時、10代だった。

「ステイ・ウィズ・ミー 硝子の少年時代の」がおなじみのフレーズになった。 1980年代、90年代の日本を代表する作詞家、松本隆が10代の少年をテーマに作詞した。 作曲はミュージシャンの山下達郎(44)が手掛けた。

詞の中には「破片が胸へと突き刺さる 何かが終わってはじまる 雲が切れてぼくを照らしだす 君だけを」などと高校生へのメッセージも込められている。 高校生たちの間で高い支持を得た。 また若年層だけでなく、中年層にも、カラオケボックスなどで歌われた。幅広い層から人気を集めた。

ジャニーズ事務所にとって、近藤真彦の「スニーカーぶる~す」以来、2作目のミリオンセラー(100万枚突破)となった。 キンキ・キッズはこの後、2枚目のシングル「愛されるよりも 愛したい」をリリース。 こちらもミリオンセラーとなった。(中津孝吉)
178万枚
45 「ラブラドール・レトリバー」

AKB48

2014年
(平成26年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
178万枚。 178万枚
46 「Addicted To You」

宇多田ヒカル

1999年
(平成11年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
178万枚
47 「僕たちは戦わない」

AKB48

2015年
(平成27年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
178万枚
48 「TOMORROW」

岡本真夜

1995年
(平成7年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
177万枚
49 「BLOWIN'/TIME」

B'z

1992年
(平成4年)

【動画】
<ライブ(公式)▼>
176.4万枚
50 「ロマンスの神様」

広瀬香美(ひろせ・こうみ)

1993年
(平成5年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
広瀬香美の3枚目のシングル。広瀬は当時はまだ新人だった。 女性シンガー・ソングライターのシングル売り上げの新記録を樹立した。

広瀬の特徴である個性的な甲高い歌声が響く。軽快なリズムと躍動的がメロディが際立つ。 行動的な女性像を表現した歌詞も、若い女性の支持を集めた。飲み会で出会ったすてきな男性を、恋人にしようとする女性を描く。「初対面の男性に好かれるには、のりの良さと恥じらいが必要」など、本音をコミカルに歌う。

スキー用品店「アルペン」のCMソングとして採用された。1993年12月に発売。その冬の間、全国各地のスキー場でのオンエアが増えた。

「女性も手に職を持つべきだ」という両親の方針で、五歳の時からピアノと作曲を習った。子供時代はクラシックだけの音楽生活。どういうわけか、作曲した作品の評価は「下世話な曲ねといわれてた」。

高校の音楽科を経て、国立の音楽大学に進学した。「楽器をやらなくてもすむ」という理由で、作曲科を選んだ。「将来は音楽教師にでもなるのかなと思った」と振り返る。

大学二年の時の米ロサンゼルス旅行が転機になった。友人に誘われて行ったボビー・ブラウンのコンサート。それまでクラシックしか聴いたことがなかったから、衝撃的だった。「細かい約束事にとらわれない自由な作曲法と強烈なリズムに魅せられました」。 そのまま5年間ロスで音楽を勉強したという。

ロスではボイス・トレーニングを積みながら作曲法、プロデュースを学んだ。1990年、24歳の時に帰国。ポップスの作曲家を目指し、レコード会社に送ったデモテープがきっかけとなり、1992年7月にデビューした。
174万枚
50 「エロティカ・セブン」

サザンオールスターズ

1993年
(平成5年)

【動画】
<動画▼>


【配信】
アマゾン→
サザンらしいラテン風の歌謡ロック。 サザンとしては「TSUNAMI」に次ぐセールス枚数となった。 174万枚
50 「裸足の女神」

B'z

1993年
(平成5年)

【動画】
<ライブ(公式)▼>
173.6万枚
50 「奇跡の地球(ほし)」

桑田佳祐&Mr.Children

1995年
(平成7年)

【動画】
<ライブ映像▼>


【配信】
アマゾン→
171万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 51位~60位
順位 曲名・歌手 説明 売上
51 「悲しみは雪のように」

浜田省吾

1992年
(平成4年)

【動画】
<ライブ▼>


【配信】
アマゾン→
170万枚
52 「どんなときも。」

槇原敬之

1991年6月
(平成3年)

【動画】
<公式ビデオ▼>


【配信】
アマゾン→
1990年代を代表するシンガー・ソングライター(歌手兼作曲家)である槇原敬之の代表作。 自ら歌ったシングルの中では、最も売れた。

槇原は1991年にデビュー。3枚目のシングルとなった本曲で初めてヒットチャートに入り、初の1位を獲得した。
170万枚
53 「もっと強く抱きしめたなら」

WANDS

1992年7月
(平成4年)

【動画】
<ライブ▼>
166万枚
54 「Wait&See~リスク~」

宇多田ヒカル

2000年4月
(平成12年)

【動画】
<公式PV▼>


【配信】
アマゾン→
166万枚
55 「あなた」

小坂明子

1973年12月
(昭和48年)

【動画】
<曲▼>


【配信】
アマゾン→
高校2年生が作曲・作詞し、自らピアノを弾きながら歌ったラブソング。 「もしも私が家を建てたなら・・」と歌いだし、恋する人とマイホームで幸せに暮らすという未来像を語る。 まさに古き良き昭和の素朴な名曲。 当時、この曲と歌唱力に感動して、弾き語りをまねしようとする人が相次いだ。

小坂明子は1957年兵庫県生まれ。 3歳からピアノを習い始める。大阪音大付属音楽高校2年生だった1973年、授業中ノートの隅に書いたのが本曲だ。 通学電車で知り合った他校生との恋をベースにしたという。彼が好きなパンジー、自分が好きなバラを歌詞に織り込んだ。 ピアノに向かって約30分で曲をつけたという。

この曲でヤマハの第6回ポプコン(ポピュラーソング・コンテスト)に応募。次々勝ち抜いてグランプリ受賞。世界歌謡祭でも最優秀グランプリに輝いた。同年レコードデビューするや、1か月で100万枚突破、2か月で164万枚の売り上げを記録した。
164万枚
56 「LOVEマシーン」

モーニング娘。

1999年9月
(平成11年)

【動画】
<公式PV▼>


【配信】
アマゾン→
164万枚
57 「負けないで」

ZARD

1993年1月
(平成5年)

【動画】
<ライブ(公式)▼>
164万枚
58 「愛されるより 愛したい」

KinKi Kids

1997年11月
(平成9年)

【動画】
<公式ビデオ▼>
164万枚
59 「おどるポンポコリン」

B.B.クイーンズ

1990年4月
(平成2年)

【動画】
<テレビ出演▼>
164万枚
60 「Winter,again」

GLAY

1999年2月
(平成11年)

【動画】
<公式PV▼>


【配信】
アマゾン→
164万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 61位~70位
順位 曲名・歌手 説明 売上
61 「A」

浜崎あゆみ

1999年8月
(平成11年)

【動画】
<monochrome▼>


【配信】
アマゾン→
163万枚
62 「青春アミーゴ」

修二と彰

2005年11月
(平成17年)

【動画】
162万枚
63 「フライングゲット」

AKB48

2011年8月
(平成23年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
162万枚
64 「誘惑」

GLAY

1998年4月
(平成10年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
162万枚
65 「ロビンソン」

スピッツ

1995年4月
(平成7年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
162万枚
66 「夜空ノムコウ」

SMAP

1998年1月
(平成10年)

【動画】
162万枚
67 「PRIDE」

今井美樹

1996年11月
(平成8年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
162万枚
68 「ダンシング・オールナイト」

もんた&ブラザーズ

1980年4月
(昭和55年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
161万枚
69 「チェリー」

スピッツ

1996年4月
(平成8年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
161万枚
70 「Everyday、カチューシャ」

AKB48

2011年5月
(平成23年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
161万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 71位~80位
順位 曲名・歌手 説明 売上
71 「それが大事」

大事MANブラザーズバンド

1991年8月
(平成3年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
160万枚
72 「CRAZY GONNA CRAZY」

trf

1995年1月
(平成7年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
158万枚
73 「【es】~Theme of es~」

Mr.Children

1995年5月
(平成7年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
157万枚
74 「らいおんハート」

SMAP

2000年8月
(平成12年)

【動画】
156万枚
75 「これが私の生きる道」

PUFFY

1996年10月
(平成8年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
156万枚
76 「ひだまりの詩」

ル・クプル(Le Couple)

1997年5月
(平成9年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
夫婦のユニットが、恋の余韻を歌ったバラード。 かつての恋人に寄せる、切なくも優しい思慕である。 広がりのある旋律に乗った透明な歌声が、胸にしみる。

フジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌。 ドラマの「主題歌」がヒットする例は多いが、「挿入歌」としては異例の特大セールスを記録した。 放送後にテレビ局に問い合わせが相次ぎ、10万枚、50万枚と売り上げが徐々に伸びるじわじわ型のヒットになった。高校3年生の音楽の教科書にも採用された。

「ル・クプル」は、フランス語で「カップル」を意味する。 藤田隆二、恵美の2人は実際の夫婦。 当時34歳のボーカルの恵美と、33歳のベース兼ギターの隆二。

2人は1985年にライブハウスで出会った。 アマチュア時代はカントリーミュージックを中心に活動してきた。 結婚3年目の1994年にプロデビューした。

1990年代の日本の音楽を分析した著書「なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?」の中で、筆者のシン アキコ氏は以下のように論評している。
「自分を愛してくれた、自分を選んでくれた、そういうあたたかな経験は、この先ずっと自分のなかに残り、自分を支えてくれるもの。愛してくれた気持ちを『ひだまり』と表したこの曲は、素晴らしいものと思います」
155万枚
77 「UFO」

ピンク・レディー

1977年12月
(昭和52年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
155万枚
78 「恋するフォーチュンクッキー」

AKB48

2013年8月
(平成25年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
155万枚
79 「energy flow」

坂本龍一

1999年5月
(平成7年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
155万枚
80 「涙のキッス」

サザンオールスターズ

1992年7月
(平成4年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
154万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 81位~90位
順位 曲名・歌手 説明 売上
81 「うそ」

中条きよし

1974年1月
(昭和49年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
154万枚
82 「花-Memento-Mori-」

Mr.Children

1996年4月
(平成8年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
153万枚
83 「翼はいらない」

AKB48

2016年6月
(平成28年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
151万枚
84 「ねがい」

B'z

1995年5月
(平成7年)

【動画】
149万枚
85 「Can You Keep A Secret?」

宇多田ヒカル

2001年2月
(平成13年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
148万枚
86 「奥飛騨慕情」

竜鉄也

1980年6月
(昭和55年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
148万枚
87 「タイミング」

ブラックビスケッツ

1998年4月
(平成10年)

【動画】
148万枚
88 「空も飛べるはず」

スピッツ

1994年4月
(平成6年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
148万枚
89 「センチメンタルトレイン」

AKB48

2018年9月
(平成30年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
147万枚
90 「my graduation」

SPEED

1998年2月
(平成10年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
147万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑


■ 91位~100位
順位 曲名・歌手 説明 売上
91 「空と君のあいだに」

中島みゆき

1994年5月
(平成6年)

【配信】
アマゾン→
146万枚
92 「サウスポー」

ピンク・レディー

1978年3月
(昭和51年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
146万枚
93 「風は吹いている」

AKB48

2011年10月
(平成23年)

【動画】


【配信】
アマゾン→
145万枚
94 「ズルい女」

シャ乱Q

1995年5月
(平成7年)

【配信】
アマゾン→
145万枚
95 「異邦人」

久保田早紀

1979年10月
(昭和54年)

【配信】
アマゾン→
144万枚
96 「Don't Leave Me」

B'z

1994年2月
(平成6年)
144万枚
97 「時の扉」

WANDS

1993年2月
(平成5年)
144万枚
98 「GIVE ME FIVE!」

AKB48

2012年2月
(平成24年)

【配信】
アマゾン→
143万枚
99 「北の宿から」

都はるみ

1975年12月
(昭和50年)

【配信】
アマゾン→
1964年にデビューした都はるみは、 玄人筋の間では「実力日本一」といわれた。 その音域の豊かさだけではなく、 その「うなり」は文字通り「演歌の心」とされてきた。

本曲は、その「うなり」を極力抑え、 むしろ「つぶやき」との対照でクライマックスにもっていくという、 しゃれた技法をとった。

作詞・阿久悠(あく・ゆう)、 作曲・小林亜星(あせい)という黄金コンビ。 小林亜星は「力みのない歌をつくる」といって本曲を作ったという。 都はるみ自身、最初はこの歌に自信を持てなかった。

ところが大ヒットし、当時全盛期にあったレコード大賞も受賞した。

(参照・出典:「歌謡曲ベスト1000の研究」
143万枚
100 「真夏の夜の夢」

松任谷由実

1993年7月
(平成5年)

【配信】
アマゾン→
143万枚

トップ1011~20位21~30位31~40位41位~50位51位~60位61位~70位71位~80位81位~90位91位~100位ページの先頭↑



ヒット曲の歴史

かつてレコードは貴重品だった

日本の庶民にとって、1970年代までレコードは貴重品でした。 当時まだCDはなく、針を接触させて音を鳴らす「アナログ盤」のレコードとカセットテープしかありませんでした。

ミリオンセラーは滅多に出なかった

日本で100万枚を超える「ミリオンセラー」は、 滅多に出ませんでした。 しかし、娯楽として音楽が占める位置も高かったです。 歌謡曲のテレビ番組も多く、高い視聴率を出していました。 いったん火がつけば、波及力は大きく、国民的ヒットになりえました。 「泳げ、たいやき君」「女のみち」が歴代1,2位を占めているのは、 このためです。

1980年代はシングルが不調

1980年代に入ると、シングルの売り上げは激減しました。1987年にはついに50万枚を超すヒット曲がありませんでした。 このころ「10年後にはシングルは消える」という予測もありました。

1990年代にミリオンセラー連発

CDプレーヤー普及が後押し

1990年代に入って、シングル市場は激変します。 ミリオンセラーが続出するようになったのです。

その背景としては、1980年代終盤から、 レコードがアナログ盤からCDに切り替わったことが挙げられます。 CDプレーヤーが普及し、 より気軽にレコードを再生できるようになりました。

テレビとのタイアップ

また、1990年代には、テレビドラマとのタイアップ方式が定着しました。 有名歌手とのコラボでドラマの主題歌が次々とつくられ、 大ヒットを連発したのです。

カラオケボックスが流行

それにカラオケ人気が拍車をかけました。 「カラオケボックス」でのカラオケが国民的な娯楽になりました。 シングルに、カラオケ版が収録されるようになりました。

ミリオンの価値が薄れた

とはいえ、1990年代以降は、100万枚以上売れた曲であっても、限られた層しか聴かず、知らない人も多いという状況も出始めました。 ミリオンセラーの価値がやや薄れたといえます。